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大社基地遺跡群の学術調査、文化財指定と保存に関する要望についての賛同署名

大社基地遺跡群の学術調査、文化財指定と保存に関する要望についての賛同署名 published on

 私たち(島根史学会・島根考古学会・戦後史会議松江の3団体)は、アジア・太平洋戦争末期に海軍航空基地として建設された、大社基地及びその関連施設(大社基地遺跡群)の学術調査・文化財指定と保存・整備・活用を島根県と出雲市に要望しています。 

 「大社基地遺跡群」は、アジア・太平洋戦争最末期の1945年3月から6月にかけて地元住民・国民学校生徒までも動員し、「本土決戦」に備えて斐伊川支流の新川廃川跡に急造された海軍航空基地で、長く陸上自衛隊出西訓練場として利用されてきました。その間、中国財務局は「主滑走路」跡を「切り売り」してきたのですが、昨年12月、原状をとどめる部分を公売に付し、地元企業が住宅団地として開発する計画で落札して今に至っています。現時点では、出雲市・島根県とも保存に向けて明確な対応をとることを表明していませんので、事態は重大な局面が続いています。

 「大社基地遺跡群」については、これまでも島根県内の研究者によって調査・研究が行われ、小学校から大学に至る各学校で平和学習・歴史教育の実地教材、フィールドワーク対象地として活用されてきました。最近でも、戦後史会議・松江が調査・編纂・刊行した『島根の戦争遺跡』(2021年2月刊行)で、松江市・出雲市・雲南市内の507に及ぶ戦争遺跡の中で、最大規模のものと確認されています。

 この間、戦争遺跡保存全国ネットワーク共同代表の出原恵三氏が現地調査を実施した上で、十菱駿武氏とともに評価書を作成され(島根県・出雲市に提出済み)、一般社団法人日本考古学協会も埋蔵文化財保護対策委員会委員長名の「要望書」を文化庁長官、島根県知事・教育長、出雲市長・教育長に提出されました。これらの評価書・要望書の基礎になった「大社基地遺跡群」の特徴と意義は次のとおりです。

 

①遺跡の規模が大きいこと。

コンクリート舗装された主滑走路を中心に東西・南北各6km余(出雲市~松江市玉湯町)にわたる範囲に遺存しています。

②アジア・太平洋戦争最末期に建設された海軍航空基地の全体構成・構造を今に遺しています。

1)多様な航空基地施設の遺構※で構成されています。

※主滑走路、掩体、地下壕、兵舎、誘導路、対空機銃陣地、設営部隊本部建物=旧出西国民学校校舎など

2)基地の建設時期である1945年3月~6月は、「本土決戦」が呼号され、また、沖縄戦と重なる状況であり、「大社基地遺跡群」はこの時期の戦争遺跡として特段の重要性をもつものです。

③建設時の原状をよく遺して保存されています。

「主滑走路」(現在も幅60メートル×長さ600メートルがそのまま遺っています)の型枠作り工法によるコンクリート舗装など建設当時の状況を伝えています。

④広範な県民を動員して建設されたものです。

周辺住民・鰐淵鉱山鉱夫・国民学校学童も、基地建設に動員されました。

⑤ ④の関係住民に加え、基地勤務者が存命で、聴取調査が可能です。

⑥島根県内(とくに出雲市・松江市)で平和教育に広く活用されています。

従来も小学校の平和学習で利用されてきましたが、「コロナ禍」で広島修学旅行が中止されたことにともない、平和学習の場として「大社基地」が見学学習で利用されています。

 

2021年5月

島根史学会

島根考古学会

戦後史会議松江


2021年3月17日

島根県知事 丸山達也様

島根県教育委員会教育長 新田英夫様

 

島根史学会会長 竹永三男

島根考古学会会長 松本岩雄

戦後史会議・松江世話人代表 若槻真治

 

  大社基地遺跡群の学術調査、文化財指定と保存に関する要望について

 

 私たちは、アジア・太平洋戦争末期に海軍航空基地として建設された、島根県出雲市斐川町出西・直江・荘原地区を中心とした広い地域に存在する大社基地及びそれに附属する遺跡群(以下、大社基地遺跡群と呼ぶ)の学術調査と保存、ならびに文化財指定を要望します。

 大社基地遺跡群は、アジア・太平洋戦争当時の海軍航空基地として、その遺構を良好に残す島根県最大規模の、また全国的にも稀有の戦争遺跡です。

 アジア・太平洋戦争の末期には、戦況の悪化とともに、首都圏、大都市圏、九州南岸などに点在していた陸海軍の航空基地は次々と空襲を受けました。そこで、本土決戦に備えて航空機を温存しようとした軍部は、空襲による被害が比較的少ないと考えられた日本海側に航空基地を移転しようとしました。そして、1945年(昭和20)3月から6月にかけて、120m×1700mの主滑走路(そのうちコンクリート舗装部分60m×1500m)と、30m×600mの応急離陸路等を持つ海軍航空基地が、国民学校生までをも動員して急遽建設されることになりました。こうして建設された大社基地は、当時、西日本最大の爆撃・雷撃の拠点でした。

 大社基地遺跡群には、現在でも主滑走路のおよそ半分が当時のままの状態で残されているほか、その周辺には、東西およそ6キロメートル、南北およそ6キロメートルの範囲で、配備された爆撃機「銀河」の掩体、爆弾や魚雷を格納した地下壕、兵舎跡、対空機銃陣地跡、基地設営隊本部が置かれた旧出西国民学校校舎などが残されています。国立公文書館アジア歴史資料センターでは、大社基地等の造営を担った舞鶴海軍鎮守府所属第338設営隊の戦時日誌など、関連する多くの文献資料が確認できるという点でも、貴重な遺跡です。

 以上のように、大社基地遺跡群は、海軍航空基地としての規模が大きいこと、主滑走路と附属施設が建設当時の原状をよく残していること、関連する文献資料が豊富なことなどから、戦争遺跡として全国的にも稀な、貴重な文化財であると考えます。このことは県内でも夙に注目されており、島根県教育庁文化財課編『島根県の近代化遺産島根県近代化遺産(建造物等)総合調査報告書』(平成14年3月、島根県教育委員会)にも「陸上自衛隊出西訓練場(海軍大社基地関連施設群)」として掲載されています。

 このことに加え、大社基地遺跡群は、貴重な平和学習の場として、これまでも、また現在も学校教育・社会教育で活用されています。特に主滑走路は、子供たちが戦争の実態や当時の雰囲気を実感する上で格好の教材として活用されています。

 このように大社基地遺跡群は、戦争遺跡として島根県を代表する貴重な文化財であるにもかかわらず、これまで開発に伴う発掘調査が行われた以外には公的な学術調査は行われておらず、調査・研究は、もっぱら民間研究者による個別的な努力に委ねられてきました。そのため各種の遺構の正確な分布調査は十分にはなされておらず、学術的研究もなお不十分な状態にあります。

 現在、大社基地遺跡群の中の主滑走路の大部分は民間に売却されることになり、落札者が確定したと報じられています。このことも、学術的調査と研究が不十分であったこと、その必要性を文化財保護行政当局に働きかけなかったことによるものとして、私たち研究団体としても、深く反省すべきことと考えております。

 以上のことから、私たちは、大社基地遺跡群について、以下のことを要望します。

 

要望事項

1.大社基地遺跡群の総合的な学術調査を行うこと。

2.大社基地遺跡群を県指定史跡に指定して保存すること。

3.貴重な戦争遺跡として保存管理計画を策定し、今後の整備と活用について検討すること。

以上

 

〔学会賛同署名〕

上記の「大社基地遺跡群の学術調査、文化財指定と保存に関する要望について」の趣旨を確認し、賛同します。

2021年5月15日   日本史研究会

 


2021年4月9日

出雲市長 長岡秀人様

出雲市教育委員会教育長 杉谷学様

 

島根史学会会長 竹永三男

島根考古学会会 長松本岩雄

戦後史会議・松江世話人代表 若槻真治

 

  大社基地遺跡群の学術調査、文化財指定と保存に関する要望について

 

 私たちは、アジア・太平洋戦争末期に海軍航空基地として建設された、島根県出雲市斐川町出西・直江・荘原地区を中心とした広い地域に存在する大社基地及びそれに附属する遺跡群(以下、大社基地遺跡群と呼ぶ)の学術調査と保存、ならびに文化財指定を要望します。

 大社基地遺跡群は、アジア・太平洋戦争当時の海軍航空基地として、その遺構を良好に残す島根県最大規模の、また全国的にも稀有の戦争遺跡です。

 アジア・太平洋戦争の末期には、戦況の悪化とともに、首都圏、大都市圏、九州南岸などに点在していた陸海軍の航空基地は次々と空襲を受けました。そこで、本土決戦に備えて航空機を温存しようとした軍部は、空襲による被害が比較的少ないと考えられた日本海側に航空基地を移転しようとしました。そして、1945年(昭和20)3月から6月にかけて、120m×1700mの主滑走路(そのうちコンクリート舗装部分60m×1500m)と、30m×600mの応急離陸路等を持つ海軍航空基地が、国民学校生までをも動員して急遽建設されることになりました。こうして建設された大社基地は、当時、西日本最大の爆撃・雷撃の拠点でした。

 大社基地遺跡群には、現在でも主滑走路のおよそ半分が当時のままの状態で残されているほか、その周辺には、東西およそ6キロメートル、南北およそ6キロメートルの範囲で、配備された爆撃機「銀河」の掩体、爆弾や魚雷を格納した地下壕、兵舎跡、対空機銃陣地跡、基地設営隊本部が置かれた旧出西国民学校校舎などが残されています。国立公文書館アジア歴史資料センターでは、大社基地等の造営を担った舞鶴海軍鎮守府所属第338設営隊の戦時日誌など、関連する多くの文献資料が確認できるという点でも、貴重な遺跡です。

 以上のように、大社基地遺跡群は、海軍航空基地としての規模が大きいこと、主滑走路と附属施設が建設当時の原状をよく残していること、関連する文献資料が豊富なことなどから、戦争遺跡として全国的にも稀な、貴重な文化財であると考えます。このことは県内でも夙に注目されており、島根県教育庁文化財課編『島根県の近代化遺産島根県近代化遺産(建造物等)総合調査報告書』(平成14年3月、島根県教育委員会)にも「陸上自衛隊出西訓練場(海軍大社基地関連施設群)」として掲載されています。

 このことに加え、大社基地遺跡群は、貴重な平和学習の場として、これまでも、また現在も学校教育・社会教育で活用されています。特に主滑走路は、子供たちが戦争の実態や当時の雰囲気を実感する上で格好の教材として活用されています。

 このように大社基地遺跡群は、戦争遺跡として島根県を代表する貴重な文化財であるにもかかわらず、これまで開発に伴う発掘調査が行われた以外には公的な学術調査は行われておらず、調査・研究は、もっぱら民間研究者による個別的な努力に委ねられてきました。そのため各種の遺構の正確な分布調査は十分にはなされておらず、学術的研究もなお不十分な状態にあります。

 現在、大社基地遺跡群の中の主滑走路の大部分は民間に売却されることになり、落札者が確定したと報じられています。このことも、学術的調査と研究が不十分であったこと、その必要性を文化財保護行政当局に働きかけなかったことによるものとして、私たち研究団体としても、深く反省すべきことと考えております。

 

 以上のことから、私たちは、大社基地遺跡群について、以下のことを要望します。

 

要望事項

1.大社基地遺跡群の総合的な学術調査を行うこと。

2.大社基地遺跡群を県指定史跡に指定して保存すること。

3.貴重な戦争遺跡として保存管理計画を策定し、今後の整備と活用について検討すること。

以上

 

〔学会賛同署名〕

上記の「大社基地遺跡群の学術調査、文化財指定と保存に関する要望について」の趣旨を確認し、賛同します。

2021年5月15日   日本史研究会