農林水産省は、二〇二二年七月二八日に行われた農林業センサス研究会において、次回二〇二五年度の調査より農業集落調査を廃止する方針を提起した。
これまで「農林業センサス」で実施してきた農業集落調査は、社会生活の基礎的な単位である「農業集落」を一定の基準で把握し、その属性を一つ一つデータ化するという「集落」の全数調査である。市町村合併が繰り返されてきた結果、市町村内には各種の行政的な単位が重層しており、生活・生産にもっとも密接に関わるレベルの集落の把握は難しくなっている。この「集落」の存在を全国規模で全数把握する唯一の調査が、農水省の農業集落調査であり、多方面に非常に重要な意味をもつものである。
歴史学からみた集落調査の意義は大きく二つある。第一に、集落調査には戦後一九五五年の開始以来、六五年間の蓄積がある。高度経済成長期以降の農山村の歴史を検証する基礎データとして活用されており、これからも五年ごとに調査が継続されることで、新たな歴史資料が作成されるという点である。第二の意義は、集落調査のデータを各時代の歴史データと接続させることで、住民が生活基盤とするコミュニティの成り立ちや変遷、地域における自治組織の多層性を歴史的に解明する手がかりが与えられる点に求められる。現在の「集落」は、近・現代の大字・小字や農家小組合・農事実行組合の単位、近世の村や村組、中世の郷や村、古代の郷や里など、いずれかに淵源する歴史性を有するためである。
近年、日本史研究者のあいだで始まった、古代・中世の文献史料上にみえる郷・村がいつ生まれ、近世村にどのように接続あるいは消滅するのか全国的に記録化する「ムラの戸籍簿」という歴史データベースも、農水省によって五年に一度更新されている〈集落の履歴〉と接続されることで、現代的意義を帯びることになる。
農水省は農業集落を、「農業経営面ばかりでなく、冠婚葬祭その他生活面にまで密着に結びついた生産及び生活の共同体であり、さらに自治及び行政の単位として機能してきたものである」(農林業センサス)と説明するが、それに加え国土交通省や総務省が重視する「農林地や地域固有の景観、文化等の地域資源を維持・管理する資源管理機能」(総務省過疎対策室)、あるいは災害からのレジリエンスもまた集落が担ってきた重要な機能として認められなければならない。
こうした多面的価値をもつ集落の調査停止は、①現在、農林水産政策や環境政策、地方自治行政の基礎として機能している集落自治の存在意義を否定するとともに、②歴史との切断により、住民も研究者も集落の来歴をたどることが困難となることで、③一〇〇年、一〇〇〇年のスケールで遡りうるコミュニティや地域社会のアイデンティティが見失われ、④過去と現在とを対比する道が閉ざされ、限界集落問題をはじめ農山村が直面する現実的課題に対して、長期的視点で提言しうる歴史学の貢献を不可能にする結果を招くのではないかと懸念される。
④に関して付言すると、国交省は自治システムの多層化による集落機能の維持・再編成を構想しているが、近年の歴史学は前近代における地域社会の多層性についても明らかにしており、その歴史的知見は政策立案にも活かされるべきであろう。
以上指摘した通り、集落の全数調査が今後も現行の調査項目で継続されることは、歴史学の立場においても非常に重要な意義を有している。よって日本史研究会は集落調査廃止の方針に対して強く反対するものである。
二〇二二年一〇月一日
日本史研究会