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円宗寺跡の全面発掘に関する要望書

円宗寺跡の全面発掘に関する要望書 published on

 現在進行中の「上質宿泊施設計画((仮称)御室花伝抄計画)」(以下、本ホテル計画)予定地である京都市右京区御室芝橋町は、円宗寺跡に推定されている。円宗寺は、後三条天皇の発願により延久2年(1070)に建立され、平安中期に仁和寺周辺に建立された「円」の字を冠する四つの御願寺(円融寺・円教寺・円乗寺・円宗寺、総称して四円寺)の一つである。
 摂関政治から院政へ展開する過渡期に、当時の天皇により建立された円宗寺は、その歴史的意義の大きさから、様々な議論が重ねられてきた。例えば、願主の私的な追善と国家鎮護を祈願する同寺の性格は、藤原道長建立の法成寺に起源をもち、後に白河天皇により建立される法勝寺へと展開するとされる。また、法勝寺大乗会とともに北京三会(天台三会)と称された円宗寺最勝会・法華会は、新たな天台僧昇進の場として機能しその後の仏教界に大きな影響を与えた。
 なかでも、文献史料から復元される円宗寺の寺院規模の大きさは、法勝寺をはじめとする六勝寺の造営の先蹤をなす画期性を持つと見られてきた。また近年は、円宗寺をはじめとする四円寺の歴史的性格の再検討が議論され、それぞれの寺域や伽藍構成などの寺院規模についても再び注目を集めている。しかしながら、応安2年(1369)に円宗寺が倒壊したのを最後に四円寺は廃絶し、現在は、当時の寺院規模のみならず、正確な所在地さえも不明という状況にある。円宗寺跡における発掘調査の成果は古代・中世の宗教史・都市史の空白を埋める学術的意義を持ち、それによる歴史の解明が望まれる。
 さらに、四円寺は仁和寺の院家として天皇の後院的性格も持つことが指摘されており、仁和寺と不可分の関係にある。世界遺産仁和寺の関連史跡であるという視点からも、円宗寺の発掘調査は万全を期す必要がある。
 過去には、円宗寺推定区域内の発掘調査の結果、円宗寺と同時代の遺構及び遺物が出土している事例も複数確認できる。特に1986年に行われた公共水道工事に伴う調査(京都市右京区御室小松野町、御室芝橋町、御室大内町)では、寺域の区画溝と考えられる遺構や、多数の瓦が出土しており、隣接する本ホテル計画予定地からも、円宗寺の実態に迫る遺構の検出が期待される。
 本ホテル計画では地上三階、地下一階の鉄筋コンクリート造の建築計画がなされており、地下に遺構がある場合、建設工事による破壊は免れない。これらの事情に鑑みれば、試掘や部分的な発掘ではなく、全面的な発掘調査が必須である。上記の観点から、本ホテル計画予定地における全面発掘調査の実施を強く要望するものである。

2023年11月20日          日本史研究会
京都府知事  西脇隆俊殿
京都市長   門川大作殿
京都府教育長 前川明範殿
京都市文化芸術政策監 砂川敬殿