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「慰安婦」問題に関する日本の歴史学会・歴史教育者団体の声明

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「慰安婦」問題に関する日本の歴史学会・歴史教育者団体の声明


『朝日新聞』による2014年8月の記事取り消しを契機として、日本軍「慰安婦」強制連行の事実が根拠を失ったかのような言動が、一部の政治家やメディアの間に見られる。われわれ日本の歴史学会・歴史教育者団体は、こうした不当な見解に対して、以下の3つの問題を指摘する。

第一に、日本軍が「慰安婦」の強制連行に関与したことを認めた日本政府の見解表明(河野談話)は、当該記事やそのもととなった吉田清治による証言を根拠になされたものではない。したがって、記事の取り消しによって河野談話の根拠が崩れたことにはならない。強制連行された「慰安婦」の存在は、これまでに多くの史料と研究によって実証されてきた。強制連行は、たんに強引に連れ去る事例(インドネシア・スマラン、中国・山西省で確認、朝鮮半島にも多くの証言が存在)に限定されるべきではなく、本人の意思に反した連行の事例(朝鮮半島をはじめ広域で確認)も含むものと理解されるべきである。

第二に、「慰安婦」とされた女性は、性奴隷として筆舌に尽くしがたい暴力を受けた。近年の歴史研究は、動員過程の強制性のみならず、動員された女性たちが、人権を蹂躙された性奴隷の状態に置かれていたことを明らかにしている。さらに、「慰安婦」制度と日常的な植民地支配・差別構造との連関も指摘されている。たとえ性売買の契約があったとしても、その背後には不平等で不公正な構造が存在したのであり、かかる政治的・社会的背景を捨象することは、問題の全体像から目を背けることに他ならない。

第三に、一部マスメディアによる、「誤報」をことさらに強調した報道によって、「慰安婦」問題と関わる大学教員とその所属機関に、辞職や講義の中止を求める脅迫などの不当な攻撃が及んでいる。これは学問の自由に対する侵害であり、断じて認めるわけにはいかない。

日本軍「慰安婦」問題に関し、事実から目をそらす無責任な態度を一部の政治家やメディアがとり続けるならば、それは日本が人権を尊重しないことを国際的に発信するに等しい。また、こうした態度が、過酷な被害に遭った日本軍性奴隷制度の被害者の尊厳を、さらに蹂躙することになる。今求められているのは、河野談話にもある、歴史研究・教育をとおして、かかる問題を記憶にとどめ、過ちをくり返さない姿勢である。

当該政治家やメディアに対し、過去の加害の事実、およびその被害者と真摯に向き合うことを、あらためて求める。

 

2015年5月25日

 

歴史学関係16団体

日本歴史学協会

大阪歴史学会

九州歴史科学研究会

専修大学歴史学会

総合女性史学会

朝鮮史研究会幹事会

東京学芸大学史学会

東京歴史科学研究会

名古屋歴史科学研究会

日本史研究会

日本史攷究会

日本思想史研究会(京都)

福島大学史学会

歴史科学協議会

歴史学研究会

歴史教育者協議会

2015年9月末日までに、新たに4団体から声明への賛同の申し出があり、賛同団体は20団体となった。以下に、追加賛同団体を列記する。

 

2015年10月10日

 

大阪歴史科学協議会

京都民科歴史部会

ジェンダー史学会

宮城歴史科学研究会

高等学校の歴史教育改革アンケートへのご協力のお願い

高等学校の歴史教育改革アンケートへのご協力のお願い published on

2006年秋に高校で必修である世界史を他の科目で代替していた問題が発覚して以来、各方面で高校における歴史教育改革の検討が進められてきました。この世界史未履修問題が発生した背景には様々な要因があるといわれていますが、世界史は高校で初めて本格的に習う上、覚えるべき用語が多く、生徒たちに苦手意識があること。また、高校では週休2日制が導入された上、「総合学習」や「情報」などの新科目が設置され、地歴科関係の授業時間が縮小していること。さらに、小中学校の社会科(歴史分野)では日本史中心の教育が行われているため、大学進学を考える生徒の中では日本史での受験を希望する生徒が多く、世界史の必修を負担に考える傾向があること、などが指摘されています。

このような世界史未履修問題の表面化をうけて、日本学術会議では歴史と地理の専門家による分科会が設置され、2011年8月に『新しい高校地理・歴史教育の創造―グローバル化に対応した時空間認識の育成―』を提言しました。この中では、世界史Aと日本史Aを統合した「歴史基礎」と地理Aを改編した「地理基礎」を必修とするとともに、受験の中心科目である世界史Bと日本史Bに関しては歴史的思考力の育成を強化するため、用語を2000語程度に限定するガイドラインを作成し、大学側もその範囲で入試問題を出題するように提案しました(www.scj.go.jp/ja/info/kohyo/pdf/kohyo-21-t130-2.pdf)。

この提言を受け、世界史Bと日本史Bの用語を限定する試案を作成するため、2012年10月から日本学術会議の提言作成に関わったメンバーを中心として高等学校歴史教育研究会が三菱財団人文科学研究助成金を得て、高校教員と大学教員5名ずつの構成で発足しました。この間、小中学校社会科(歴史分野)の歴史用語、高校世界史A・日本史Aの用語、世界史B・日本史Bの用語(ゴシック用語も含む)の教科書ごとの収録頻度、大学入試センター試験の出題用語などの基礎データを作成し、歴史教育における小中高大の積み上げの中で高校の世界史Bや日本史Bにおける重要用語を限定するガイドラインの試案を作成してきました。この基礎データと検討結果は、高校歴史教育研究会と協力関係にある世界史研究所(南塚信吾代表)のホームページに次のアドレスで掲載してあります。

http://www.history.l.chiba-u.jp/~riwh/japanese/index.php?itemid=214

この調査結果によると、大学受験の中心科目である世界史Bと日本史Bに関しては、改訂の度に用語が膨らむ傾向が続いており、1950年代初めには1200~1500語程度であったものが、最新の2012年度検定の教科書では3500~3800語程度に膨張しています。これは歴史学の発展により新しい研究成果を盛り込む努力の現れという面もありますが、高校の歴史教育で確保される時間数が減少してきているため、高校現場では近現代史まで教えらずに終わるケースが増えているといわれます。

また、一部の大学入試では細かい用語の暗記力を問う出題が続いているため、高校現場ではひたすら用語の暗記を生徒に強いる教育に追われ、生徒に歴史の面白さを伝え、歴史的思考力の育成を図る授業が行えない状況が続いています。その結果、生徒たちの間では歴史学習は暗記科目で、自分の将来には関係ないとして「歴史離れ」する傾向があり、大学進学後の学習に高校の歴史教育が役立っていない傾向も出ているといわれます。

 

他方、文部科学省では、2008年度の学習指導要領の改訂にあたり、新科目の検討も議論になったようですが、時間不足から当面、世界史必修が継続されました。その後、2018年ごろに予定される次の学習指導要領の改訂に向けて、研究開発学校などで歴史基礎・地理基礎など新科目の実験も進行しています。しかし、最近では高校でも日本史を必修にする案が浮上しており、もし、世界史必修を止めて、日本史のみを必修にした場合には高校における世界史履修者の激減が予想され、グローバル化時代に逆行することになりかねません。

このように現在は、高校の歴史教育の在り方を検討する上で重要な岐路に差し掛かっていると考えられます。そこで、高等学校歴史教育研究会、日本学術会議高校歴史教育分科会、日本歴史学協会歴史教育特別委員会では、協議の末、高校の歴史教育や大学入試の在り方を検討するアンケートを多くの関係者にお願いし、改革の基本方向を検討する参考にさせていただきたいと考えました。

このアンケートへの回答は、2014年8月末までに下記あてに郵送または電子データでお送りくださるようにお願いします。また、できるだけ多くの方にアンケートにお答えいただくためにアンケートに協力いただけそうな方を下記あてにご紹介ください。なお、アンケートに記入いただく際には、回答者の皆さんの高校歴史教育との具体的な関係と回答内容の相関を知りたいと考え、記名回答をお願いします。勿論、無記名を希望される場合は氏名欄の無記入でも構いません。また、アンケート結果は、9月末までに集計し公表する予定ですが、発表にあたっては回答者のお名前を公表することは致しませんので、ご自由に回答くださるようにお願いします。

特定秘密保護法に反対する歴史学関係者の第2次緊急声明案

特定秘密保護法に反対する歴史学関係者の第2次緊急声明案 published on

特定秘密保護法に反対する歴史学関係者の第2次緊急声明

 

われわれが10月30日に特定機密保護法案に反対する緊急声明を出した後、すでに2000人を超える歴史学関係者から声明に対する賛同署名が集まるとともに、日本の歴史学者と文書館関係者をほぼ網羅する日本歴史学協会と日本アーカイブズ学会という2つの団体が同法案を批判する声明を出した。その重みを政府と国会は真剣に受けとめるべきである。

伝えられる修正協議の内容は、まったく問題点を解決するものではなく、それどころか、かえって新たな問題を生じさせる内容さえ含まれている。

1.行政機関の長が恣意的に特定秘密を指定し、情報を隠すことができるという法案の危険な本質的内容は、まったく修正されてないこと。

2.たとえ行政の最高責任者たる首相や行政機関内部に設ける別組織が特定秘密指定の妥当性を監視する仕組みを設けたとしても、それは行政機関から独立した第三者機関による審査と呼べるものではなく、いずれも行政機関による恣意的な情報隠しを防止するものにはなり得ないこと。

3.特定秘密の指定が可能な期間を、基本的に文書作成から最長で60年までに限るという修正がなされているが、これは逆に60年間は特定秘密を解除しなくて良いと各行政機関に判断されるおそれがあり、歴史学の研究・教育にとってきわめて大きな障害をもたらすのが憂慮されること。

日本の平和と安全に関する重大な情報を国民の目から隠す本法案は、歴史学の研究・教育にも大きな障害をもたらし、国の将来に禍根を残す稀代の悪法と言わねばならない。現在必要なことは、日本アーカイブズ学会が声明で指摘しているように「公文書管理法の趣旨にのっとって行政文書の適切な管理のための方策をとること」であり、米国の「国立公文書館記録管理庁」が持っているような文書管理全般に関する指導・監督権限を国立公文書館に付与すること、その権限に見合った規模に国立公文書館を拡充すること、そしてそれを支える文書管理の専門的人材を計画的に養成・配置することである。

政府と国会が大局を見失わず、拙速な審議で悪法の強行成立を図ることを避け、情報を大切に扱い、行政文書の適切な管理を行うことを強く要請する。

 

2013年11月22日  歴史学研究会委員長 久保亨

日本史研究会代表委員 藤井譲治

歴史科学協議会代表理事 服藤早苗

歴史科学協議会代表理事 塚田孝

歴史教育者協議会代表理事 山田朗

同時代史学会代表 吉田裕

東京歴史科学研究会代表 中嶋久人

日本の戦争責任資料センター共同代表 荒井信一

国立歴史民俗博物館・前館長 宮地正人

聚楽第本丸南辺石垣遺構の保存と活用を求める要望書

聚楽第本丸南辺石垣遺構の保存と活用を求める要望書 published on

聚楽第本丸南辺石垣遺構の保存と活用を求める要望書

天正15年(1587)に完成した聚楽第は、豊臣秀吉の権力を象徴する場として広く知られている。秀吉は、都市部の町割りを行ったり、御土居を構築するなど、首都に相応しい都市へと改造し、聚楽第はその中心的な施設として位置付けられた。現在の都市景観は、秀吉が改造した都市京都に遡ることを考えると、京都にとって聚楽第が持つ意味合いは大変大きいと言えよう。
しかし、聚楽第の実像はほとんど分かっていない。その要因の一つは、完成のわずか8年後である文禄4年(1595)に聚楽第が破却されたため、十分な記録が残っていないことにある。また、聚楽第の跡地は、江戸時代に町場化し、現在も多くの個人住宅が建ち並んでいることから、断片的な発掘調査しか行えないことも大きな要因の一つである。
2012年に京都府警察本部西陣待機宿舎建設に伴う発掘調査(京都市上京区上長者町裏門東入須浜町)が行われた。その調査によって良好な石垣遺構が30m以上にわたって出土したことは、聚楽第の実像にせまる大きな成果であることは言うまでもない。本格的な石垣としては初めて発見された事例であることから、今後の調査・研究が可能な形で保存すべきであろう。また本遺跡の現地説明会に2,300人もの府民・市民が集まったことは、これだけの規模の遺構を学校教育や府民・市民のための歴史学習の場として利用することの必要性や、広い意味での観光文化資源として活用することに大きな可能性があることを示したものといえよう。
しかし、京都府は遺構を埋め戻すことによって現状を「保全」するとし、将来にわたって府民・市民に公開する意図を持ちあわせていない。文化財の有効かつ積極的な保存・活用よりも、宿舎建設を優先したと言わざるを得ない。もっとも大きな問題は、現在の建築計画では、遺構の上部に宿舎が建設されるということである。石垣そのものは避けて杭が打たれるとしても、その前面の犬走り部分や背面の埋め石部分などが破壊される可能性は大いにある。しかも、いま計画されているように上部を覆う形で建物を建設すると、少なくとも今後数十年間は調査をすることは不可能であり、遺構の「保全」といいながら、実際には遺跡の調査・活用の機会を半永久的に奪ってしまうことになる。
石垣遺構の南側の敷地は、京都市の公園である。公園の下にも堀の遺構が埋まっていることが想定され、今回の石垣遺構と合わせると、塁線を含む堀全体の構造が判明する可能性が非常に高い。堀の両側の塁線が確認できる場所がいずれも公有地になっているのである。この場所は、断片的な発掘調査しかできない聚楽第の跡地において、重要な考古学的成果が生み出せる可能性がある唯一の場所と言っても過言ではないのである。また、本物の石垣遺構を活用した地下展示スペースを構築できる希少な空間といえよう。地中にあった石垣遺構を露出させて見せる例は全国各地にあり、石垣遺構の保全と活用が両立している事例は枚挙に暇がない(別紙資料参照)。聚楽第についての調査・研究と活用の可能性を数十年間にわたり封印してしまう判断を、いま私たちが選択しても良いのであろうか。
日本史研究会としては、遺構の上に建物を建設することに強く反対し、より積極的な調査・活用方法を探ることが後世に対する我々の責務と考える。上記の観点から、以下の点を要望する。

  1. 石垣遺構の上部に、それを密閉する形で宿舎を建設しない。
  2. 今回の遺構も含め、聚楽第の跡地を史跡に指定すること。
  3. 当該地の発掘調査を全面的に実施し、常時公開もふくめ、その活用策を検討すること。

2013年2月8日                         日本史研究会

京都府知事  山田啓二殿
京都府教育長 田原博明殿

(別紙)
◎岡山城
・本丸-宇喜多時代の石垣-一部ではあるが常時公開
・外堀-堀跡を交差点の地下通路へ転用
◎名護屋城
◎岐阜城
◎福岡城
◎室町殿(同志社大学寒梅館)
◎江戸城
*上記のうち、江戸城の事例は、石垣遺構を確認できる地下スペースを設けるとともに、解説板を設置している。建物の建設と遺構の保存を両立し、教育や観光に向けた活用が可能な保全が行われた事例として注目すべきものである。

「聚楽第本丸南辺石垣遺構の保存と活用を求める要望書」への賛同のお願い

「聚楽第本丸南辺石垣遺構の保存と活用を求める要望書」への賛同のお願い published on

「聚楽第本丸南辺石垣遺構の保存と活用を求める要望書」への賛同のお願い

昨年秋、京都府警察本部西陣待機宿舎(京都市上京区上長者町裏門東入須浜町)建設に伴う発掘調査によって、豊臣秀吉が築造した聚楽第本丸南堀の北側石垣遺構が長さ32m、高さ最高2.3mにわたって出土しました。しかも、この敷地南面には京都市の児童公園があることから、堀の大部分が公有地にかかっており、その全容が解明できる希有の条件をもった場所であることもわかりました。昨年12月24日の現地説明会には2,300人の府市民が訪れており、広く国民へ聚楽第の歴史的意義を伝え、遺跡を公開し、歴史教育に活用する場として利用できる、この上ない可能性をもっていることも示されました。
日本史研究会としては、その保存・活用をはかるために、本年1月24日に京都府教育庁文化財保護課に説明を求めたところ、遺構を埋め戻したうえで、その上に建物を建設することになっているとの説明をうけました。これでは建物の基礎によって遺構の一部が破壊される恐れがある上、上部建物が次に建て替えられる数十年後まで一切の学術調査や活用が不可能になり、「保全」という名の「封印」になってしまいます。そこで、遺構の上部への建物建設を見直して、遺跡の調査を進め、遺構をオープンスペースで保存し、活用することを求める要望書(別紙)を、本日(2月8日)、京都府、京都府教育庁に提出いたしました。
ついては、日本史研究会の会員はもとより、幅広い研究者がこの事態を憂えていることを示すために、本要望書への御賛同をお願いしたいと思います。賛同していただいた方のお名前は、京都府・京都市・文化庁などへ届けるとともに、日本史研究会のHPにも掲載させていただく予定です。
京都府は年度内に工事開始を強行しようとしています。事態は切迫していますので、第一次の集約を2月15日、第二次の集約を2月末日とさせていただきたいと思います。
よろしくお願いいたします。

2013年2月8日  日本史研究会

要望書に賛同いただける方は、下記の所定欄に、お名前、肩書きを御記入ください。そして、それを、①メール本文として、下記の専用アドレスまでメール送信するか、②日本史研究会までFaxでお送り下さるかしてください。
専用アドレス  nihonshiken_somu@yahoo.co.jp
日本史研究会  Fax:075-256-9212
…………………………………………………………………………………………………

「聚楽第本丸南辺石垣遺構の保存と活用を求める要望書」(日本史研究会、2013年2月8日付)に賛同します。

名   前;              氏名公表の可否 可/否
肩 書 き;

要望書の本文はこちらをご覧下さい。

…………………………………………………………………………………………………

「聚楽第本丸南辺石垣遺構の保存と活用を求める要望書」(日本史研究会、2013年2月8日付)について205名の方から賛同を得ました(3月8日現在)。

David Neilson(Assistant Professor , East Asian History ,University of Central Arkansas)、
アンドレス・ペレス・リオボ(立命館大学客員研究員)、
伊藤啓介(京都大学非常勤講師)、
上野輝将、
大月英雄(関西学院大学院生)、
大橋幸泰(早稲田大学教授)、
小倉宗(大阪大谷大学文学部准教授)、
長志珠絵(神戸大学教授)、
倉本頼一(大学講師)、
毛戸祐司(京都府立高校教諭)、
佐藤泰弘(甲南大学文学部教授)、
静剛(奈良県教員)、
中村聡(教員(私立中・高))、
西田彰一(総合研究大学院大学博士後期課程)、
野村千代子(大学非常勤講師)、
樋笠逸人(京都大学大学院人間・環境学研究科院生)、
東谷智(甲南大学文学部教授)、
安田清人(有限会社三猿舎・代表取締役)、
安藤弥(同朋大学准教授)、
伊藤俊一(名城大学教授)、
伊藤真昭(華頂短大教授)、
衣川仁(徳島大学准教授)、
一越麻紀(上越市立総合博物館主任(学芸員))、
稲葉継陽(熊本大学文学部附属永青文庫研究センター教授)、
宇佐美英機(滋賀大学経済学部教授)、
宇野田尚哉(大阪大学大学院文学研究科准教授)、
榎村寛之(斎宮歴史博物館学芸普及課長)、
榎本渉(国際日本文化研究センター准教授)、
岡野友彦(皇學館大学文学部教授)、
加藤直、
花岡公貴(上越市立総合博物館係長(学芸員))、
海津一朗(和歌山大学教育学部教授)、
外岡慎一郎(敦賀短期大学教授)、
丸本由美子(京都大学大学院法学研究科)、
岸泰子(九州大学大学院芸術工学研究院准教授)、
岩城卓二(京都大学人文科学研究所)、
岩川拓夫(尚古集成館学芸員)、
亀井明德(専修大学名誉教授)、
亀澤一平(愛媛大学大学院法文学研究科修士課程)、
吉田歓(山形県立米沢女子短期大学 教授)、
吉田賢司(龍谷大学講師)、
久家隆芳((公財)高知県文化財団埋蔵文化財センター主任調査員)、
久野修義(岡山大学教授)、
久留島典子(東京大学史料編纂所教授)、
宮下和幸(金沢市立玉川図書館近世史料館学芸員)、
宮本一夫(九州大学大学院人文科学研究院教授)、
京楽真帆子(滋賀県立大学教授)、
橋本雄(北海道大学大学院文学研究科准教授)、
桐野作人(歴史作家)、
近藤成一(東京大学史料編纂所教授)、
金子拓(東京大学史料編纂所助教)、
郡邦辰(日本史研究会会員・司法書士)、
古野貢(武庫川女子大学)、
古野徳久(香川県立ミュージアム学芸員)、
光成準治(鈴峯女子短期大学非常勤講師)、
荒川将(上越市立総合博物館学芸員)、
荒木裕行(東京大学史料編纂所助教)、
高久嶺之介(京都橘大学教授)、
高橋昌明(神戸大学名誉教授)、
高橋照彦(大阪大学大学院文学研究科)、
高橋慎一朗(東京大学史料編纂所准教授)、
高橋敏子(東京大学准教授)、
高橋龍三郎(早稲田大学)、
高木久史(安田女子大学文学部講師)、
高木徳郎(早稲田大学教育総合科学学術院准教授)、
高木博志(京都大学人文科学研究所教授)、
今岡稔(日本考古学協会会員・文化財保存全国協議会会員)、
佐々木憲一(私立大学教授)、
佐島顕子(福岡女学院大学人文学部教授)、
佐藤雄介(東京大学史料編纂所助教)、
細川涼一(京都橘大学)、
坂井尚登(日本城郭史学会評議員)、
桜井英治(東京大学教授)、
三浦正幸(広島大学大学院文学研究科教授)、
三鬼清一郎(名古屋大学名誉教授)、
三治和孝(米澤前田慶次乃會企画専務理事)、
三宅唯美(恵那市教育委員会)、
三輪泰史(大阪教育大学教授)、
山岸未来(駒澤大学大学院修士課程)、
山近博義(大阪教育大学教授)、
山口 和夫(東京大学史料編纂所准教授)、
山口博之(山形県立博物館)、
山村亜希(愛知県立大学日本文化学部准教授)、
山中章(三重大学名誉教授)、
山田邦和(同志社女子大学教授)、
山田雄司(三重大学教授)、
山本吉次(金沢大学附属高校教諭)、
山本淳子(京都学園大学人間文化学部教授、京都市文化芸術都市創生審議委員)、
山本博文(東京大学大学院教授)、
市村高男(高知大学教育研究部総合科学系教授)、
七海雅人(東北学院大学文学部歴史学科教授)、
柴田博子(宮崎産業経営大学教授)、
若松正志(京都産業大学(文化学部)教授)、
若林邦彦(同志社大学歴史資料館准教授)、
小宮木代良(東京大学史料編纂所)、
小川弘和(熊本学園大学経済学部准教授)、
小島道裕(国立歴史民俗博物館 教授)、
小野澤眞(武蔵野大学仏教文化研究所研究員)、
小林准士(島根大学法文学部准教授)、
松井洋子(東京大学史料編纂所教授)、
松澤克行(東京大学准教授(史料編纂所))、
上川通夫(愛知県立大学日本文化学部教授)、
新田康二(三重県歴史教育者協議会委員長)、
須原祥二(四天王寺大学教授)、
水野章二(滋賀県立大学人間文化学部教授)、
西ヶ谷恭弘(日本城郭史学会代表)、
西山克(関西学院大学文学部教授)、
西本昌弘(関西大学教授)、
青地一郎(城郭談話会会員)、
青木敬(独立行政法人国立文化財機構奈良文化財研究所都城発掘調査部(平城地区)研究員)、
青柳周一(滋賀大学経済学部教授)、
千田嘉博(奈良大学文学部文化財学科教授)、
川岡勉(愛媛大学教育学部教授)、
川戸貴史(千葉経済大学専任講師)、
川合康(大阪大学大学院文学研究科教授)、
倉敦(会社員、洛西太秦歴史民俗談話会発起人)、
増渕徹(京都橘大学)、
村井良介(神戸大学大学院人文学研究科特命助教)、
村田昌也(徳島市立考古資料館主任学芸員)、
村田路人(大阪大学大学院教授)、
大垣さなゑ(作家(日本文藝家協会会員))、
大国正美(神戸深江生活文化史料館館長)、
大山喬平(京都大学名誉教授)、
大村拓生(関西大学非常勤講師)、
大塚活美、
谷川章雄(早稲田大学人間科学学術院教授)、
竹永三男(島根大学法文学部教授)、
中井均(滋賀県立大学人間文化学部准教授)、
中西裕樹(高槻市立しろあと歴史館)、
中村博司(大阪城天守閣前館長)、
中村武生(京都女子大学文学部非常勤講師)、
中島圭一(慶應義塾大学教授)、
長屋隆幸(愛知県立大学非常勤講師)、
長瀬光仁(駒澤大学大学院人文科学研究科歴史学専攻)、
長谷川博史(島根大学教育学部教授)、
長谷川裕子(福井大学教育地域科学部准教授)、
津野倫明(高知大学教育研究部人文社会科学系人文社会科学部門教授)、
辻川敦、
田中英資(福岡女学院大学人文学部)、
田中裕介(別府大学教授)、
渡辺浩一(人間文化研究機構国文学研究資料館教授)、
渡辺尚志(一橋大学大学院社会学研究科教授)、
渡辺芳郎(鹿児島大学法文学部教授)、
登谷伸宏(京都橘大学文学部助教)、
都出比呂志(大阪大学名誉教綬)、
土山公仁(岐阜市歴史博物館学芸員)、
東幸代(滋賀県立大学准教授)、
桃崎有一郎(立命館大学文学部講師)、
湯浅治久(市立市川歴史博物学芸員)、
藤川昌樹(筑波大学教授)、
藤田義成(近畿大学職員・日本考古学協会員)、
藤田達生(三重大学教授)、
藤田典子(八尾市教育委員会生涯学習部文化財課職員)、
藤田明良(天理大学国際学部教授)、
藤本誉博((一財)今治文化振興会学芸員)、
徳田忠昭(年金生活者)、
能川泰治(金沢大学人間社会研究域准教授)、
梅田千尋(東京大学史料編纂所社会連携研究部門特任准教授)、
白谷朋世(日本考古学協会員)、
八重樫忠郎(平泉町役場)、
尾下成敏(京都橘大学文学部准教授)、
百瀬正恒(元京都市埋蔵文化財研究所)、
武内雅人(元和歌山県教育委員会文化遺産課主幹)、
福田千鶴(九州産業大学国際文化学部教授)、
平雅行(大阪大学文学研究科教授)、
平崎雄晤、
保谷徹(東京大学史料編纂所教授)、
保立道久(東京大学史料編纂所教授)、
豊田裕章(国際日本文化研究センター共同研究員)、
北川央、
堀新(共立女子大学教授)、
本田泰猛(奈良文化財同好会事務長)、
茂木雅博、
毛利憲一(平安女学院大学国際観光学部准教授)、
網伸也((財)京都市埋蔵文化財研究所 調査業務担当係長)、
木越隆三、
木村佳奈(駒澤大学大学院博士後期課程単位取得退学)、
木村直也(産業能率大学経営学部教授)、
野田泰三(京都光華女子大学人文学部教授)、
鈴木雅博、
廣田浩治(日本史研究会・大阪歴史学会会員)、
杣田善雄(大手前大学教授)、
藪田貫(関西大学文学部教授)、

柳田快明(前熊本市立必由館高等学校教諭)、
島田雄介(京都府立洛東高等学校教諭)、
他22名

東京都教育委員会による高校日本史教科書採択への不当介入に抗議するアピール賛同のお願い

東京都教育委員会による高校日本史教科書採択への不当介入に抗議するアピール賛同のお願い published on

東京都教育委員会による高校日本史教科書採択への不当な介入に抗議する歴史研究者・教育者のアピール

高等学校の新学習指導要領の実施に伴い、2013年4月から、高校1年生を対象に、文部科学省の検定に合格した新たな教科書が使用される。この教科書採択にあたり、実教出版発行の『高校日本史A』を使用する予定だった高校に、東京都教育委員会がその変更を迫り、他社版の教科書に変更させていたことがこの度明らかとなった。

『高校日本史A』は、1999年に制定された国旗国歌法に関する欄外の注記において、文科省の検定意見を容れたうえで、「政府は、この法律によって国民に国旗掲揚、国歌斉唱などを強制するものではないことを国会審議で明らかにした。しかし一部の自治体で公務員への強制の動きがある」と記述している。検定終了後の3月から4月にかけて『産経新聞』はこれを「不適切記述」と攻撃し、都教委はそれを受けて、校長会幹事会において、教科書採択にあたっては同紙の記事に留意するよう説明を行い、さらに伝えられるところでは、都教委高校教育指導課は、来年度の高校1年生に日本史Aを履修させる都立高校17校に電話を入れ、実教出版『高校日本史A』を採択しないように要請し、応じない高校には数回に亙って電話連絡によって変更を強制したという。その結果、昨年6校で採択された実教出版『高校日本史A』を採択する都立高校は皆無となっている。『高校日本史A』の来年度の採択予定数は、全国的には従来よりも伸長していると伝えられており、採択校が皆無となる東京都の状況は明らかに異常である。

そもそも教科書無償措置法の適用を受けない高等学校で使用する教科書の採択は、それぞれの教育課程の目標に応じて、これまで学校ごとに独自になされてきた。今回の都教委の行為は、後期中等教育段階でこれまで認められてきた学校ごとの教科書採択という当然の方法を踏みにじる暴挙であり、また、各高校がその個性をふまえて編成し都教委も承認した教育課程を遂行するために各学校が採択しようとする教科書の使用を認めないということは、実際に学校現場で教育に当たる高校教師の専門性を否認する越権行為である。さらに、自らが「国旗掲揚」「国歌斉唱」を「強制」している事実を、都立高校の生徒の眼から逸らそうとする卑劣なものである。

私たち、歴史研究・歴史教育に日々携わる者として、それ自体多くの問題を抱えているとは言え文部科学省の検定に合格した日本史の教科書の中から、自分たちの学校にとって最善の教科書を選ぼうとした教師の努力を否定するこうした都教委の行為は、到底容認することができない。私たちは、この度の東京都教育委員会の暴挙に強く抗議するとともに、

実教出版『高校日本史A』教科書の使用を希望する高校には来年度からの使用が可能となるよう今回の採択をやり直すこと、そして来年以降の高校教科書の採択に際しては、教育現場に不当な介入をすることなく学校現場の判断を尊重した教科書採択を行うことを強く要求する。今回の都教委の行為を容認することは、少なくとも教科書採択においては裁量の余地が残されていた高校教育の現場に、これまで以上に教育内容に対する政治権力の露骨な介入を許すこととなる。教科書の採択は、教育現場や生徒の実情を知悉し、教育内容に関する専門家である教師の手によって直接なされるべきである。こうした当たり前のことが今後も保障されるために、多くの方々が声をあげるよう訴えるものである。

2012年12月10日

呼びかけ人(12月10日現在 50音順)

井口和起 池享 石山久男 大門正克 大串潤児 大橋幸泰 大日方純夫  糟谷憲一 木畑洋一  君島和彦  木村茂光  栗田禎子 小嶋茂稔 坂本昇  佐藤宗諄 白鳥晃司 高橋昌明 塚田孝 深谷克己  服藤早苗  藤井讓治  藤田覚  丸浜昭  満川尚美 水本邦彦  峰岸純夫  宮地正人 村松邦崇 山田朗 吉田伸之 米田佐代子

 


 

「東京都教育委員会による高校日本史教科書採択への不当な介入に抗議する歴史研究者・教育者のアピール」賛同のお願い

上記アピールに多くの方々の賛同をいただき、賛同者のお名前・人数を含めて公表し、関係方面に送付したいと思います。賛同していただける方は、メール・FAXをお送りください。また、はがきなど、郵送でも受付いたします。

 

第1次賛同者集約 2013年1月10日  第2次集約 2013年1月31日

 


 

101-0051 東京都千代田区神田神保町2-2 千代田三信ビル 歴史学研究会気付

歴史研究者・教育者アピールの会

FAX : 03-3261-4993(歴史学研究会 気付)

rekiapi@yahoo.co.jp

 

FAX・e-mail の場合は、下記の書式をお使いください。また切り取ってはがきに貼ってお使いいただくこともできます。

「東京都教育委員会による高校日本史教科書採択への不当な介入に抗議する歴史研究者・教育者のアピール」に賛同します。

お名前:

ふりがな:

氏名公表の可否:可/否

所属連絡先など(お差支えなければご記入ください):

大阪人権博物館・大阪国際平和センターの補助金削減・廃止に反対する声明

大阪人権博物館・大阪国際平和センターの補助金削減・廃止に反対する声明 published on

大阪人権博物館・大阪国際平和センターの補助金削減・廃止に反対する声明

先日、橋下徹大阪市長と松井一郎大阪府知事は、大阪人権博物館(リバティおおさか)を見学し、展示内容への不満足から補助金を打ち切ることを表明した。また、大阪国際平和センター(ピースおおさか)については、二〇一一年に橋下府知事(当時)がその展示内容を問題とし、現在は大阪府市統合本部の特別顧問のもとで補助金支出の見直しが俎上に載せられている。しかしながら、両施設がこれまでに果たしてきた社会的役割は極めて大きく、私たちは大阪府・市の方針に賛成することはできない。

リバティおおさかは、さまざまな人権問題に関する歴史的調査研究、関係資料の収集・公開による人権意識の啓発を目的とした施設である。大阪という地域に根ざした問題を掘り下げる一方、近年では沖縄問題、性差別など様々な人権問題についても幅広く発信している。
またピースおおさかは、次代を担う世代に戦争の悲惨さと平和の尊さを伝えるために設立され、精力的な資料の収集により現在収蔵品総点数は四万点を超えている。これをもとに、大阪の空襲被害をテーマとした展示や、平和を祈念する企画事業などを行うことで、大阪府民・市民は勿論、中国や韓国など東アジアの人びとからも大きな共感を得、支えられてきた。

両施設とも、以上のような趣旨・目的に則って、資料を収集・保存し、その成果を展示や刊行物に結実させるとともに、地元学校や社会教育との連携など地域に根ざした活動や、普遍的な設立理念の共有のために国際交流を積み重ねてきた。人権の尊重と平和の実現を目指した両施設における研究・普及活動や国際交流の蓄積は、大阪のみならず、日本そして世界からも高く評価され支持されてきたものである。こうした積み重ねは今後、大阪府民・市民が東アジアの人びとと交流を深めていく上での信頼や相互理解の基盤となることは間違いない。
両施設がこれまで果たしてきた社会的・公的役割に鑑みれば、府知事や市長の個人的な価値判断によって事業の縮小が決定されることには、到底賛同できない。

その一方で、本年五月二九日の第一二回大阪府市統合本部会議において、「近現代史の教育のための施設」の設立方針が決定されている。提案者の橋下市長によれば、同施設は次世代を担う子どもたちが、国際社会における日本の位置を理解できるように日本の近現代史を学ぶ教育施設であり、その展示内容は、対立する歴史的見解を「両論併記」したものにするという。
私たちは、一方で既に十分な実績を有するリバティ・ピース両館の事業縮小・廃止を検討しながら、他方で府知事と市長の価値基準を軸とした新たな近現代史教育施設の設立計画が進められていることに、強い懸念を抱いている。

以上の理由から、私たちは大阪府・市に、次の点を要望する。

  • 一、大阪人権博物館(リバティおおさか)および大阪国際平和センター(ピースおおさか)への補助金打ち切り等の方針を撤回すること。
  • 一、大阪人権博物館および大阪国際平和センターのこれまでの取り組みを尊重し、今後も事業の継続・拡充に努めること。

 

上記、声明する。

二〇一二年六月二六日

日本史研究会
歴史学研究会
歴史科学協議会
歴史教育者協議会

緊急アピール「育鵬社版・自由社版教科書は子どもたちに渡せない」

緊急アピール「育鵬社版・自由社版教科書は子どもたちに渡せない」 published on

  本年は中学校教科書の採択がおこなわれます。かつての「新しい歴史教科書をつくる会」(以下「つくる会」)の流れをくむ運動は、この採択の機会を最重要視しており、育鵬社版・自由社版の二種のうち、いずれかの教科書が採択されることを目標に、日本会議をはじめとする諸団体は全国的に活動を展開しています。両社版とも既に市販本が売り出されており、この運動の成果を公衆にアピールしている一方で、これら教科書を編集した人たち自身が、他社から発行される教科書を「自虐史観」や「東京裁判史観」にもとづくものであると指弾して、繰り返し誹謗や攻撃をおこなっています。

私たちは、育鵬社版と自由社版の教科書の、いずれもが子どもたちに渡されないように、これら教科書の採択に反対するものです。

「つくる会」の手による「新しい歴史教科書」(2001年以降、扶桑社版)は、全般的に基本的な誤りや不正確な部分が多くあり、歴史研究の成果を踏まえない記述に満ちた粗悪なもので、社会的にもたいへん問題になったのは、記憶に新しいところです。非常に多くの間違いや不適切な記述が訂正されないままに、「つくる会」教科書が教育現場に導入されてしまい、このような欠陥教科書を使わされた中学生や教員等が甚大な被害を受けたことは、職能としての歴史研究を重視する諸団体にとっても、痛恨のきわみであったと言わざるを得ません。歴史研究と歴史教育とのあいだで、たいへん大きな問題を抱えこむことになってしまいました。

育鵬社版・自由社版の教科書は、実質的にこの扶桑社版の後継にあたります。2006年に、「つくる会」は内部抗争を起こして二派に分裂しました。版元の扶桑社が「つくる会」と絶縁したため、2010年度からは、版元を自由社に移して「つくる会」教科書(自由社版歴史教科書)が刊行されています。一方、分裂したグループは「日本教育再生機構」や「教科書改善の会」を結成し、こちらの方は、扶桑社の子会社として設立された育鵬社から、教科書を発行しています。運動の分裂は、結局類似した内容をもつ二種類の教科書の発行をもたらすことになりました。

扶桑社版と同様に、育鵬社版・自由社版の双方に、重大な問題点があるのを見過ごすことはできません。両社版とも本年の検定に合格しましたが、付けられた検定意見の数がきわだって多いのが注目されます。育鵬社版が150件に自由社版が237件と、歴史教科書全体での平均件数116をいずれも上回っています。さらに両社とも、誤記などの理由で多数の訂正申請を文部科学省におこなっており、さらにこの訂正以後もなお史実誤認や間違いが多く残ってしまうという有りさまです。そもそも歴史研究の成果を教科書叙述に反映する姿勢があるのかさえ、疑問です。

さらに、次のような問題点も、解消されないままに存在しています。

・全体に民衆のとらえ方が一面的な記述になっています。国家の指導者やいわゆる「偉人」の業績は特筆されていますが、文化や生活の項目以外には民衆の主体的・能動的な姿がほとんど登場しません。

・一方で、取り上げられる有名人物の数だけはこれまでに無いほど多く(育鵬社540名、自由社391名)、学習を困難にしています。この人名数をもって、両社とも学習指導要領に忠実な編集と自負していますが、果たして中学校教科書として取り上げるのに適切な分量といえるのでしょうか。偉人伝を取り上げることによる効果として、改定教育基本法を強く意識しての徳目の教えこみが目指されたもの、と評価できます。

・架空の「神武天皇」について「初代天皇」と記すなど、神話や物語と歴史との関係を誤解させやすい内容です。神話重視、「天皇」重視の記述と、縄文・弥生時代についてさえ一貫して使われている「わが国」といった表現とが相まって、国家形成や支配体制の成立といった問題がまったく不明瞭にさせられています。日本列島地域の歴史は、つねに国家と一体のものであった、という評価を教えこむことがめざされています。

・植民地支配の問題をほとんど書いていません。近隣諸国の脅威、危機感が詳述される一方で、日本による植民地化に至る事実過程は認識しがたい内容になっています。植民地における近代化の功績ばかりを特筆し、支配下にある多くの人びとの苦難については、何らふれるところがありません。アジア諸地域の人びととの相互理解を妨げる、ひたすら内向きの教科書叙述と言わざるをえません。

・近代の戦争についても、侵略や加害の事実を充分理解できるようには記さず、日本国家の正当化に終始する自国中心の記述にとどまっています。育鵬社版・自由社版ともに、日露戦争が諸民族に独立の希望を与えたことを述べ、さらに「大東亜戦争」の時期の「大東亜共栄圏」を特記し、アジアの解放独立を謳ったことに紙数を費やしています。その一方で、アジア太平洋戦争での惨禍については、日本人がわの被害・犠牲についてのみ記し、アジア諸民族の被害については全く無視しています。

・平和教育を敵視し、現代世界における戦争の違法化の動向については重視せず、日本国憲法に規定された戦後日本の体制を変えることを目的とする教科書となっています。育鵬社版は「日本国憲法の最大の特色」として「他国に例を見ない徹底した戦争放棄(平和主義)の考え」としています。自由社版も「世界で例を見ないもの」としており、憲法9条の規定をまったく異例な性格のものと位置づけることに主眼があるようです。9条改憲を射程に入れた、そして日本国憲法を遵守するどころかこれに敵対しようとする、政治的性格をもつ教科書、といえるでしょう。

 

10年前に、扶桑社版教科書が登場したときに出された、「緊急アピール」では、次のように述べられていました。「私たちは、今日の学校教育における歴史の叙述は、諸国民、諸民族の共生をめざすものであるべきで、自国中心的な世界像を描くことや、他国を誹謗することは許されないと思います。『新しい歴史教科書』が教育の場にもちこまれることによって、共生の未来を築くために必要な、生徒の歴史認識や国際認識の形成が阻害されることを憂慮するものです」。今なお、あらためてこう言わなければなりません。育鵬社版と自由社版の教科書を教育の場にもちこんではならない、と。よって、私たちは、これらの教科書が採択されることに強く反対するものです。

 

2011年7月

 

歴史学研究会

日本史研究会

歴史科学協議会

歴史教育者協議会

『新しい歴史教科書』を引き継ぐ自由社版・育鵬社版歴史教科書の採択に反対する声明

『新しい歴史教科書』を引き継ぐ自由社版・育鵬社版歴史教科書の採択に反対する声明 published on

  本年3月30日、文部科学省は、2012年度から使用される中学校教科書の検定結果を公表し、社会科歴史分野では「新しい歴史教科書をつくる会」主導で作成された『新しい歴史教科書』(自由社発行)、「新しい歴史教科書をつくる会」から分かれた「改正教育基本法に基づく教科書改善を進める有識者の会」主導で作成された『新しい日本の歴史』(育鵬社発行)が、それぞれ検定を通過したことが明らかになりました。
 
私たち歴史研究者は、10年前に『新しい歴史教科書』(扶桑社版)が登場して以来、天皇中心・国家中心の歴史観に基づく自国中心的な歴史叙述が持つ問題点を指摘し、この教科書が採択され教育現場で使用されることに反対の意思を表明してきました。 
今回検定を通過した両社の教科書は、全編を通じて自国中心的な歴史認識に基づく叙述がなされているという点では、従来の扶桑社版『新しい歴史教科書』と全く変わっていません。

例えば、歴史を学ぶ意義や姿勢を述べた巻頭部分(自由社版では「歴史を学ぶとは」、育鵬社版では「歴史の旅を始めよう」)には「日本の歴史は、どの時代を切ってもすべて、私たちの共通のご祖先が生きた歴史なのです」(自由社版)、「歴史の旅を進めていくと、私たちが住んでいる日本という国は、古代に形づくられ、今日まで一貫して継続していることに気づくと思います」(育鵬社版)と記されています。日本列島にはあたかも太古より単一の民族による単一の国家が存在したかのような記述であり、ここに端的に表現されているように、両社の教科書を貫くのは、日本国家・民族の一貫性・継続性を強調した、超時代的・血族主義的な歴史観であり、日本列島の歴史・文化の成り立ちの多様性は捨象されています。

前近代史では、「一万年の縄文時代には、日本人のおだやかな性格が育まれ、日本文化の基礎がつくられたという説もある」としたり、聖徳太子の十七条憲法を解説して、「人々の和を重視する考え方は、その後の日本社会の伝統となった」とするなど、日本の社会・文化の固有性の起源をいたずらに古い時代に求めたり、また、元寇の脅威とそれへの「勇敢」な対処を大いに強調する一方、秀吉のバテレン追放令発令の理由として、「宗教的に寛容な国柄」の日本に「一神教」であるキリスト教が入ってきたことをあげ(いずれも自由社版)、他国や異文化と対置して、日本民族や日本文化の優秀性が強調されています。
江戸時代の記述では、平和や繁栄の側面が強調される一方、農村の実態や身分差別、アイヌや琉球の人々への記述が少なく、平板で一面的な理解となっているとともに、「武士道と忠義の観念」「二宮尊徳と勤勉の精神」(自由社版)と題するコラムを掲載するなど、精神性・道徳性を強調する記述もみられます。
 
近現代史では、日露戦争における奉天会戦や日本海海戦の勝利を大きく取り上げ、「植民地にされていた諸民族に、独立への希望をあたえた」(自由社版)と評価し、韓国併合については鉄道・灌漑施設などの建設やハングル文字を導入した教育が行われた点を、台湾統治においては水道・治水事業に従事した八田與一の事績をそれぞれ強調して、日本の植民地支配を正当化しますが、植民地現地における過酷な支配や弾圧の実態についてはほとんど触れられていません。
また、外圧による対外危機を過度に強調し、第二次世界大戦(両社とも「大東亜戦争」との表記を併用しています)に関しては、日本の被害者的立場を強調し、「戦争の勝利を願う多くの国民はよく働き、よく戦った」(自由社版)としながら、戦争の過酷な実態や戦時下の厳しい生活などについては記載が乏しいなど、極めて偏った記載がなされています。さらに両社ともコラムで昭和天皇を取り上げ、「昭和天皇-国民とともに歩まれた生涯」(自由社版)、「国民とともに歩んだ昭和天皇」(育鵬社版)と、高く評価しています。
 
ここにあげた事例は、両社の教科書記述のほんの一部にしか過ぎません。天皇や国家そのものに多くの関心が注がれる一方、民衆や社会的弱者への視線は希薄です。日本の過去の植民地支配や戦争行為を意識的に正当化する考え方も教科書全体に通底しています。
これからの時代を担っていく中学生がこれらの教科書によって歴史を学ぶことになれば、日本の歴史や文化について一面的な見方しかできず、異文化を理解し諸外国・諸地域のひとびとと交流し健全な国際関係を育くむ上でも、大きな障害になりかねません。

現在、「新しい歴史教科書をつくる会」や「改正教育基本法に基づく教科書改善を進める有識者の会」「日本教育再生機構」などの団体が、政財界を巻き込み、各自治体の首長・議会、教育委員会などに対して、両社版歴史教科書の採択を請願する動きを強めています。 また橋下徹大阪府知事が率いる「大阪維新の会」の大阪市議団は、改正教育基本法と新学習指導要領に沿って中学校教科書を採択するよう、6月末に大阪市教育委員会に対して申し入れを行いました。市議団の行為は教科書名こそ特定しないものの、市教育委員会に対する明らかな干渉・圧力行為であり、教科書採択にあたっては本来中立であるべき市議会議員団としてはあるまじき行為です。
このように、ルール無視がまかり通り、本来、公正かつ客観的であるべき教科書採択のあり方が脅かされている現状は、大いに問題があると考えます。

私たち歴史研究者は、中学校歴史教科書の採択をめぐる昨今の状況を甚だ憂慮するとともに、問題の多い自由社版・育鵬社版の歴史教科書が採択され教育の場に持ち込まれることに強く反対するものです。

2011年7月17日
大阪歴史科学協議会(委員長・塚田孝)
大阪歴史学会(代表委員・小田康徳)
京都民科歴史部会(代表・小林啓治)
日本史研究会(代表委員・高橋昌明)

向日市立向陽小学校から発見された複廊遺構(推定長岡宮西宮)の保存についての要望書

向日市立向陽小学校から発見された複廊遺構(推定長岡宮西宮)の保存についての要望書 published on

向日市立向陽小学校から発見された複廊遺構(推定長岡宮西宮)の保存についての要望書

長岡京は延暦三年(七八四)に平城京から遷都して以来、同一三年に平安京に移るまで、桓武天皇が都としたところである。かつては「幻の都」と言われたことがあるが、長きにわたる発掘調査によって都の中心である内裏や朝堂院・大極殿などが発掘され、その全貌が明らかにされつつある。その成果によると、長岡京は平城京から平安京への変化を解明するために重要であるばかりでなく、内裏が西宮(第一次内裏)から延暦八年(七八九)に東宮(第二次内裏)に移ること、朝堂院が八朝堂であること、平安宮翔鸞楼相当施設が発見されたことなど、長岡京固有の特色があることが判明している。
長岡京の特色である重要な遺構のうち、東宮(第二次内裏)は調査がかなり進展し、築地回廊の一部などが現地に保存されている。また、大極殿や朝堂院は多くの建物遺構が現地で保存され、昨年には阪急電鉄西向日駅西口のすぐ北に史跡長岡宮跡朝堂院跡案内所が開かれて、遺跡の公開・活用の模範とされるべき事例となっている。これらはひとえに国や府・市当局の積極的な文化財行政に基づくものであり、大いに敬意を表するところである。
長岡京の中心である内裏や大極殿・朝堂院はおおむねその実態が解明され、その位置づけがはかられているが、唯一なお不明な点が多いのが西宮(第一次内裏)である。西宮は朝堂院・大極殿の北側にあるとされてきたが、その位置からはまだそれに該当する遺構は発見されておらず、近年ではむしろ大極殿・朝堂院の西側に比定する見解が有力となりつつある。西宮が大極殿の北か西かは単なる位置比定にとどまらず、内裏と大極殿との関係という日本古代史上の重要な問題につながり、避けて通ることができないものである。その解明のためには従来の発掘成果の見直しや文献的な検討が必要であるが、最大の鍵が遺構の発見であることは言を俟たない。
さて、昨年一〇月から向日市立向陽小学校において校舎建て替えに伴う発掘調査が行われ、一二月一八日付けの新聞各社の朝刊では、その成果について「長岡宮、幻の西宮遺構か」(京都新聞)などと大々的に報道された。新聞紙上の識者の談話では、今回の遺構を西宮とみる見解が多く、今後の調査と検証が期待されるところである。とりわけ、複廊とその外側と内側の雨落溝がセットで発見され、また発掘区域内の柱穴がすべて残っているなど、遺構の残り具合は良好である。複廊は北面回廊と西面回廊が認められ、重要な施設の北西隅にあたり、施設全体の復元の有力な根拠となるものである。柱穴の大きさ、雨落溝が石組みであるなど、すでに保存されている東宮(第二次内裏)を凌ぐ要素も看取される。掘立柱の複廊は平城宮内裏内郭や後期難波宮の内裏に用いられ、後期難波宮の内裏とは柱間の規模が一致する。内裏級の遺構であることは間違いない。市民などの関心も高く、報道の明くる日の現地説明会であるにもかかわらず、四〇〇名を越える参加があったと聞く。
小学校の耐震補強工事などの校舎改築は焦眉の課題であるが、生の遺構は再現することができない。回廊や雨落溝は旧校舎の東端にあたり、市立小学校の校地という公有地に立地する。その点からすれば、義務教育の教材として活用することが充分に考えられる。地域の文化遺産であることは言うまでもなく、広く東宮(第二次内裏)や朝堂院・大極殿の遺構と合わせることによって、長岡京ひいては日本古代史を考える重要な素材とすることができる。
そこで、以下の二点につき、関係諸機関に強く要望するものである。

一.遺跡を破壊することなく、現地保存の措置をとっていただきたい。
二.学校教材や歴史的な文化遺産として活用できる施設を設置していただきたい。

二〇一一年一月一二日

日本史研究会

文化庁長官  近藤 誠一 殿
京都府知事  山田 啓二 殿
京都府教育長 田原 博明 殿
向日市長   久嶋  務 殿
向日市教育長 奥野 義正 殿